安達ヶ原寄り道記

安達ヶ原・黒塚をたずねて

  そ い 悟 け 自 て 胆 手 こ け わ そ の る 長 遠 と 気 或 せ 京   プ 
  し わ る た 分 い を に こ  て の 宿 と 年 く 教 を る て の   ロ 
  て て  °妊 の た 手 持 ぞ と は 夜 を  `こ み え 治 時 い さ   ロ 
  ¬ は   婦 娘 守 に っ と 外 生  `求 生 こ ち ら せ  `た る   | 
  鬼 気   が に り す た ば へ 駒 恋 め 駒 安 の れ る 旅 乳 公   グ 
   狂   実 や 袋 る 出 か 追 之 衣 て 之 達 く  `の の 母 卿     
  と い   は っ に が 刃 り い 助 に や 助 が ま 妊 は 修 ・ の     
  化 し   自 た 気  `包 妊 や に わ っ ・ 原 で 婦  `験 い 姫     
  し て   分 守 付 そ 丁 婦 る ¬ か て 恋 の や の 妊 者 わ の     
  て 声   の り い の で に  °薬 に き 衣 岩 っ 生 婦 よ て 病     
  し 高   娘 袋 た 時 腹 襲   草 産 た の 窟 て き の り  °気     
  ま 々   で で  °妊 を い   を 気  °夫 で 来 胆 生  `  に     
  っ に   あ  `  婦 裂 か   取 づ   婦 待 た を き ¬    `    
  た 笑   っ 手 そ の き か   り き   が っ  °求 胆 姫   心     
  ・ い   た に れ 持 生 り   に  `  一 て   め の の   悩     
  ・  `  と か は っ き  `  行 い   夜 い   て み 病   ま     
             `                                 



3月3日(金) おひなさま
pm
3:00



3:46
山形での仕事を終え、新幹線に乗るべく米沢にいた。 東京へ帰ると6時を過ぎることだろう。 明日は土曜で休みだし。 
という訳でここらで遊んで帰ることにした。
ホテルへTEL。 当日予約という荒業を成して、前日にガイドブックで下調べをしておいた福島・安達ヶ原へ向かって出発。
いざ、鬼婆の里へ。
4:25
福島駅で新幹線から東北本線へ乗り換え。
約24分で二本松駅に到着する予定。
電車の中は高校生でごった返していた。
そのマナーの悪いこと。
地べたに座り込んだり、携帯電話でしゃべっていたり(方言なので私には解せず)、トイレの中で隠れていたり???
二本松神社

4:55

二本松駅に到着。 2時間前にTELしておいた駅前のホテルにチェックイン。
会社と客先へ電話を入れてお仕事をしておく。
まだ就業時間中であるのだ。

6:00










8:30
おなかがすいたので食料補給に。
1KM程歩いてやっと蕎麦屋を発見。 
池波正太郎風に、お蕎麦とカレー丼?とお酒を頼む。 
この千功成というお酒、ガイドブックによると地元での消費99%とのこと。 他所で手に入らないのなら欲しくなるというが人の性。
味の方は”さっぱり”して薄い感じがしたが、酔い心地はしっかりしたものである。  
この日は疲れたので、早めに消灯。
お土産の地酒
千功成



3月4日(土)  − 黒塚 −
7:55





8:20
チェックアウト。 少し早すぎるかと思ったが、早く目が覚めてしまって間が持たなくなった。
二本松神社前で学生さんと一緒にバスに乗り込む。

15分程で”安達ヶ原入り口”に到着。 
ガイドブックにはここで下車とあるが、次の停車バス停”安達が原”の方が黒塚に近いような気が・・・
二本松神社 
観世寺
門前
  8:30





少し歩いて観世寺に到着。 やはりバス停”安達ヶ原”の方が近かった。
お寺の門前を見ると通せん坊。
「本日は終了致しました −山主−」とある。
早すぎたのだ、来るのが。 もう少し寝ていればよかった。
仕方がないので近所をぶらぶらする。
黒塚が近くにあるはずだ。
8:35 黒塚発見。 
東光坊の祈念に応じ現れた如意輪観音が弓矢で射殺した鬼婆を埋葬した所。

右下の写真は、観世寺の絵葉書による。
現在、周辺部が舗装され綺麗になっている。
黒塚の裏の塀には、”保存会”なる組織によって区画整理されている旨が記されている。
むかしの方がなんとも趣がある。
現在の黒塚1
現在の黒塚2 むかしの
黒塚
  黒塚のすぐ近くであばら家を発見。 
これが噂の「鬼婆の住む家」か、と思いきやただの荒れ果てた民家であった。
この荒れ具合といい、向こうに見える竹薮といい、なんともそれらしいのだが。
あばら家
立て札 8:40




黒塚探索にも飽きたので、時間つぶしに”安達ヶ原ふるさと村”の周囲を散歩。
のんびり歩いておったのだが、結局ふるさと村を一周してしまった。
もとに戻ったが、お寺はまだ開いていない。
ふるさと村地図 9:10  時間つぶしにふるさと村に入園。 入場料¥1000也。
入園するも閑散として人気がまったくない。
すれ違ったのは掃除のおじさんただ一人。
ここはまたもや人がいない場所なのか。
さみしい・・・
園内では昔の暮らしを再現した建築物がいくつか点在する。 中の蝋人形が恐かった。
一瞬、鬼婆人形かと思った。
9:45 園内施設にある劇場では、ロボット操作による黒塚伝説の人形劇がある。
入場者は私ひとり、尚且つ上演時間外であったにもかかわらず、親切にも上演を開始して頂いた。
この場を持ちまして御礼申し上げます。
今まで収集した黒塚伝説とはちょっとストーリーが異なっていたが、それなりに面白く演出されていた。 観るべし。 観るべし。
ふるさと村のマスコット
バッピーちゃん


    聞   鬼   安   み 
    く   こ   達   ち 
    は   も   が   の 
平   ま   れ   原   く 
    こ   り   の   の 
兼   と   と   黒     
盛   か       塚     
            に     
                  


     − 観世寺・岩屋 −
10:10

ふるさと村を出て、となりの観世寺へ。
10時にしてようやく開山。
真弓山・観世寺は拝観料¥400也。
門を潜ってすぐ左側に巨大な岩が積重なって空間をなしている。 これこそが鬼婆の住み暮らしていた岩屋である。
物語から木造建築を想像していたのだが。

鬼婆の「くうねるあそぶ」
観世寺
門前
岩屋
その1
岩屋
その2
岩屋
その3
笠石
岩屋
その4
笠石
  まずは岩の周りを一回り。
この大岩・笠石の下が「鬼女棲みたる処」との立て札。
物語では奥の間(寝室・隣部屋)が髑髏保管所になっていたのだが、どこを指すのだろうか。
向こうに見える建物は、白真弓如意輪観世音菩薩を奉る本堂。
本堂





夜泣石   夜泣き石:
旅人が夜この辺りを通りかかると、赤子の泣声を聞いたという。 むかし鬼婆に殺されたらしい。
下写真は、宝物館に展示の鬼婆像。
写真撮影は禁止であったため、絵葉書をスキャンしたもの。
ここでお守りを買っていくのを忘れない、お守りマニアであった。
鬼婆に地にふさわしくない、(very)温厚な住職であったなぁ。
木像の鬼婆 掛軸の鬼婆
恋衣を
殺す場
10:45 ふるさと村入り口。 土産物売り場で物色。
やはり鬼系の日本酒を買っていく。
会社へはグロテスクな玉羊羹を。
仕事道具(書類の束)に酒瓶三本、お菓子のお土産もってバス停へ。
酒瓶三本はちと重かったで。
10:59 



2:45
二本松駅へ向かうバスに乗り込み、東京をめざす。
二本松で東北本線へ、郡山で新幹線へと乗り継ぐ。
新幹線が出発した頃、雨がぽつりぽつりと降り出した。


 す た も つ 足 魔 持 を 老 出 驚 い る 不 の に が 老 髪 岩 こ 熊   エ 
 る 如 は い は 性 ち 知 婆 し い た と 審 間 出 少 婆 鶴 窟 こ 野   ピ 
 と 意 や て 速 を  `り が た た  ° `に を か な は 骨 に 奥 の   ロ 
 ・ 輪 こ し く 露 髪  `戻  °東   そ 思 見 け く 懇 の て 州 僧   | 
 ・ 観 れ ま  `わ 逆 逆 る   光   こ っ ぬ る な ろ 老 な 安 ・   グ 
 ・ 音 ま う ま に 立 上 と   坊   に た よ  °っ に 婆 る 達 東     
   に で  °も し て し  `  ら   は 一 う   た も が 庵 の 光     
   一 と   な 鬼 て て 奥   一   人 行 に そ の て お に 里 坊     
   心 東   く 婆 一 出 の   行   の の  の に な っ て に ら     
   不 光   東 と 行 刃 間   は   屍 一 と 折 気 し た 宿 い 一     
   乱 坊   光 化 を 包 が   恐   骸 人 言  `付 て  °を た 行     
   に は   坊 し 追 丁 見   れ   が が い ¬ き い   乞  °は     
   祈 徐   ら た っ を ら   慄   山 襖 置 決  `た   う   長     
   念 に   に 老 た 逆 れ   き   積 を く し 薪 が   と   旅     
   す 持   追 婆  °手 た   逃   し 開  °て 拾  `   `  の     
   る し   い の   に の   げ   て け   奥 い 薪   銀   末     
    °                                       `    





続・安達ヶ原をたずねて

5月5日(金) 端午の節句




am
9:55
埼玉県大宮市に足立ヶ原があるという。
こちらが本家”鬼婆伝説”であるとの噂を聞いて、行ってみることにした。 
京浜東北線・大宮駅下車。 いつのまに出来たのか、さいたま新都心とやらでイベントがあり、大した人出である。
駅から徒歩約10分。 東光寺に到着。
この日はお葬式があり、中へ入るのに躊躇したが、せっかく来たのだからと写真撮りした。
東光寺1

卒塔婆の親分

東光坊阿闍利宥慶大法師八百年祭

東光寺2

  残念ながら、二本松のような”鬼婆伝説”を謳った文句はどこにも見当たらない。
もちろん、村おこしのような様子もない。
のみならず、寺院の由来の立て札すらない。
本殿裏の墓地をくまなく探したが、鬼婆らしき墓も見当たらない。
あまりここに居ては、怪しまれるかもしれない。(外見からしてすでにあやしいのだが)
 

ただ、本殿の前に”卒塔婆の親分”が建っており、”東光坊阿闍利宥慶”の文字が見える。 字は違うが、東光坊祐慶のことであろう。 東光坊がこの寺院に絡んでいることは間違いない。
鬼に係わる手がかりがない。 
なんとも、張り合いがないはなしである。
いったい何しにここまで来たんだか。

12:40
退屈しのぎに、亀戸天神に行ってみる。 
というよりも、近くの香取神社・勝矢祭を見に行ったのだが、人の行く方に着いていったら、亀戸天神・藤(の花)祭りに着いてしまったという訳。
その後、亀戸香取神社(俵籐太が矢を納める)・浅草鳥越神社(将門の首が飛び越えた)と、平将門関連神社を回って帰還。
亀戸天神

2000年3月4日&5月5日の出来事